颯太の育児記録

 コーギー・フラッフィー犬・颯太(そうた)の成長記録




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父の事 :: 2012/02/05(Sun)

父が亡くなって1週間が経ちました。

仏教徒だと、初七日

しかし父の実家は神道なので50日まで何もありません。

先週の日曜の朝、母から「おじいちゃんの様子がおかしいらしいから帰って来て」の電話の後
30分も経たずに私の携帯へ病院の医師より「9時20分息を引き取られました」と連絡が入った。
母は病院へ向かうタクシーに乗ったばかりのようだった。

私は長期滞在に成るので、喪服や着替え等を用意し
長女に連絡を入れ(彼女は前夜スノーボードから帰ったばかりだった)
夫と別に2台の車で父の入院していた病院へと向かった。

慌てて事故を起こしてはいけないので、いつもより運転は慎重でした。

病院に着き、葬儀屋さんの手配は母が既に済ませていました。
(この時は母は冷静沈着でした)
父の亡くなった弟のお嫁さん澄叔母さんが来てくれて
しばらくしてから葬儀屋さんが父を迎えに来てくれました。

担当医は日曜日で居なくて、休日勤務の若い医師が父を看取ってくれました。
あれほど絡んでいた痰も全く無く、
朝食を食堂へ車椅子で食べに行って気分が悪いと言い
そのまま血圧がどんどん下がって亡くなったそうです。
苦しむ事も無く、本当に穏やかな優しい顔に成って居ました。
その顔を見て。。。神様が連れて行ってくれたんだと思いました。

丁度3週間前に亡くなった私の大事なメルロンは
セラピードッグでお年寄りが大好きな何をしても怒らない子でした。
私はあの子の死を受け入れる事が出来なくて
本当に苦しい日々を送って居ましたが
父の傍に居る為に先に逝ったように思えて、やっと彼の死を受け入れる事が出来ました。
父は気分屋で動物に優しい時も有りましたが邪険にする事も有りました。
メルロンだったら、我慢強く父の相手をしてくれる事だと思います。

肉親が亡くなると、悲しむ暇もない忙しさです。
葬儀屋さんと様々な打ち合わせ
経験豊富な澄叔母さんに教えて貰いながら
母と二人で右往左往!
母はしっかりしているようだが少しぼんやりし始める

翌日は友引だったのでお通夜はできなくて

葬儀屋さんが納棺に来て、神主さんから預かった来た「ヘイ」を渡された。
(ヘイとは玉ぐしに付いて居る白い和紙です。
榊は澄叔母さんが1本木を切り倒して持って来てくれました。
神主さんが使う大きな枝を3本、玉ぐし用50本)

夕方、父と同い年で仲の良かった近所のおじさんが訃報を聞き泣きながら弔問に来て下さった。

役場に死亡届を出して、火葬の許可証やその他の手続きに用紙を貰う。
母が葬儀の費用を父の口座から引き出そうとしたが
もう凍結されていた。。。日曜日に亡くなると、手も足も出ないですね。

私は神道のお通夜は初体験
御霊寄せでは家の灯りをすべて消した。。。ほとんどの方が初体験で驚かれていました。
神道は日本語なので、お経を聞くより解り易かったです。

葬儀の日は朝から雪
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娘達が「流石おじいちゃん、ただでは済まさない!」等と言っていた。
しかしお昼の出棺の頃には日差しが戻り
道路に積もって居た雪も溶けていた。
親族の挨拶を叔父に頼んだが断られたので(とにかく面倒な事はしたくない人です)
夫は上がり症で声も小さくなるので、私がしました。
こんな時に舞台経験が活きました。

精進落しの皿鉢料理
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郷土料理、鯖の姿寿司(子供の時から怖かった)
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父の血縁で元気なのは、父の母方の従妹(父と同い年)随分年下の従妹二人と私の従妹(姪)だけです。

斎場へ向かう霊柩車には私が乗りましたが
運転手さんが母がアルプスなどに登って居た時にお世話に成った方で
母の事を大変気にかけて下さっていて、ありがたかったです。

お骨上げも、血の繋がった者は私と娘達だけで
ほとんど三人で納骨をして、私が父を胸に抱いて帰宅しました。

父は娘達を大変可愛がってくれていましたので、これで良かったと思っています。

お通夜の時から、洗い物に追われていましたが
葬儀が終わっても、食器類が山のように有って
澄叔母さんと従妹の恵ちゃんが凄く助けてくれました。
恵ちゃんは私より数か月年上のおねえさんで
父の亡くなった弟和おじさんの長女、和おじさんは父と違って
本当に優しい穏やかな人で、恵ちゃんも昔は寡黙な美少女でしたが
3人の子供の母に成って、綺麗なのは変わりなかったけど
逞しく成ってました^^
恵ちゃんの長男は長女と同じ年で
英語、スペイン語、イタリア語、フランス語が得意でフランス語の通訳の資格を持って居るそうです。
頭が良いとは聞いて居ましたが、、、うらやましい!
専攻はスペイン語でフランス語とイタリア語は独学ですって!凄いなぁ!
でも、組織に属するのは嫌らしく一匹狼なのだそうです。
下二人の女の子も、なかなかユニークで
私の子供たちより父の血統の影響が色濃くて話を聞いていて面白かったです。

葬儀の翌日は、葬儀には仕事を理由(本当は帰れたのは別ルートから伝わって居た)
に帰って来なかった兄から電話があり
余りにも身勝手な事ばかり言うので、母を守る為にも
少し意見をした。。。6歳離れた妹に耳の痛い事を言われて
怒った兄は話の途中で電話を切った。
兄を育てる為に両親はあんなに頑張ったのに・・・。

父の口座から引き落としていた
電気電話ガス新聞水道等の口座変更の手続きの方法を調べ
電話で処理できる物は全てすませる。
この辺りから、母の精神状態が不安定に成る。
とにかく落ち着きが無く軽いパニック状態でテンションが高く
バタバタと動き回る、様子を見ていたがどんどん酷く成って行くので
ちょっと大きな声で「落ち着きなさい!全部きちんとできてる!寝なさい!」と命令して無理に横に成らせる。
これで、少し落ち着いた!



次の日は葬儀費用の支払いや役場へ色々な提出物を出し
年金の手続きをしようとしたら、父は国民年金ではなかったので
東京へ電話しなくてはいけなくて一任される
貯金の相続請求も提出
とにかく書類書類!
母が書類を書くと全部おかしな事に成るので
書類の送付先はかまわない物は全て私の自宅にした。

今現在できる手続きは全て済ませて帰宅した。
(帰宅する前に母の女学校時代からの友達が訃報を知り電話くれたり
山仲間やパッチワークのお友達からも連絡が有って母がかなりしっかりしてきた)

とにかく・・・疲れた

夫の顔を見てほっとした。

夫は夫で犬達に翻弄されて大変だったようだ。

今まで、外へ出ようとしなかった子まで
鉢植えを置いている棚をよじ登って
塀を乗り越えて外へ出たり
犬用の洗濯機の後ろの隙間から出たり
呼んでも来なかったり
のんびりした口調で報告してくれましたが
相当大変だったようです。
(ある方曰く、私を犬達が探しに出たのではとの事でした)

台所犬達は私の留守中に届いたフードの底を少しやぶして
ちびちびと食べ続け・・・一回りデブッチョに成ってました。
彼等は緊急ダイエット!
颯太とチョン子は少し痩せていました。
(チョン子は私の体のどこかに触れています)






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  1. じいちゃん
父が亡くなりました :: 2012/01/29(Sun)

母からの電話で「お父さんの様子がかなり悪いらしいから帰って」と連絡を受け

何分もしないで病院からの電話で「先ほど、息を引き取られました」との事

母がタクシーで病院へ向かった後だったので、連絡が取れず私に連絡が有った。

すぐに夫共に病院へ向かう・・・2時間半が長い

父は病室から看護師詰所の横の部屋に移されていた。

やすらかな、穏やかな顔

朝食を食べに食堂へ自分で車椅子に乗って行って
食事中に『気持ちが悪い』と言って・・・そのまま、どんどん血圧が下がって行ったそうです。

食事に行く時に着ていたベストのポケットには
口を拭くためのハンカチとティッシュが入って居ました。

家へ連れて帰ってお通夜、葬儀の準備
父の義妹がいろいろと教えてくれる。

娘達も来てくれて、よくやってくれました。

火葬場からまだあたたかい遺骨を抱いて帰る時
幼い時に父の膝に抱かれた時の温かさを思い出しました。

性格のきつい人でしたが、不思議と私には大甘でした。

私が作った料理は何でも美味しいと言って食べてくれた。


ありがとう、おとうさん


  1. じいちゃん
完全燃焼^^ :: 2011/02/04(Fri)

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今日も癒されています。




今日は実家の家具移動をしてきました。

父がいつ退院に成るか解らないので
早めに準備を進める方が安心ですものね^^

お天気も良くて、暖かくて
お掃除日和でした^^

三人の息が合っていて
母の指図を仰ぎつつさくさくと作業が進んで
凄く楽しかったです^^


11時前にはきれいに片付きました。


母が欲しい物が有るというので
一緒に買い物に行きました、
お父さんは薪割りをしてたようです。
(最近、薪割りが楽しいらしいです。
木がスパーンと割れるのが気持ち良いみたい^^)

昨日の今日で、母も私も疲れていたので
さっさと帰宅(笑)

本当にお父さんに感謝の一日でした。

そのお父さんは「86」(AE86)を2台見た♪と感激しきり!
1台目は気が付かなかったけど
2台目は高速道路で横をシューンと走り抜けて行った!
走り去る後姿が美しかった~


ただ、今朝バタバタと慌てて家を出たので
すっかり薬を飲むのを忘れ・・・飲んだつもり!
帰宅後、今朝飲んだと思い込んでいた薬を見付けて・・・絶句!
なんかねぇ・・・相当ショックでした^^;



高速道路は今日の行きも帰りも、
なんだか霞がかかったような感じでした。
(朝と同じ写真ですが・・・)
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AE86

  1. じいちゃん
節分だったんですよね :: 2011/02/03(Thu)

節分のお約束♪♪
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なんでこんな事をされるのか・納得してない



110203_2004~010001
豆を食べるのに・必死の図


ちょっと、くたびれたので
お茶目な颯太で気分をほぐしてみました。


今日の運転の友は
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日本語が良いなぁ・・・と言う理由です
お父さんはあんまり好きじゃないんですって!
だから一緒の時はきけないの^^;



個人的な記録になります



父を入院させる為に帰省するのは
初めてでは無いのですが
今回の事をブログに書こうと決めたのは
父が自分でほとんど動けなくなったからです。

今はまだ、要介護の認定は受けていません。
老衰以外特に治療を必要とする病気が無いので
整形外科での診察、治療(リハビリ?)を
ある程度したら退院と成ります。
それから、介護保険を使う事ができるようです。

昨日母から電話が来たときは
「自分で座ることも出来ない」と言う事でしたが
私が行くと聞いて、頑張ったようで
布団の上に座って服を着替えさせて貰っていました。
(自分で靴下を履くことも出来なくなっていました)
母には、随分我が儘を言っているようですが
私の存在は(ところどころ痴呆があります)
無条件に可愛い存在のようで
本当に幸せそうに笑ってくれます。
二人がかりで服を着せ、車に乗せました。
父はとても仲の良かった従弟が亡くなってから
食べる事を拒否してしまって
すかっり体重が減ってしまった父はとても軽くなって
でも、やはり車までは大変でした。

病院に着いてからは(10時半くらいだったかな)
スタッフの方が迎えに来てくださって
寝台は父が拒否するので車椅子で移動しました。
(みっともないとか恥ずかしいという気持ちは凄く強いです)
とても混んでいて、診察とレントゲン撮影をすませて
病棟に入ったのはお昼でした。
看護士さんも入退院を繰り返している父になれていて
ある意味、安心してお願いできます。
いつも感じるのは看護士さんと訓練士さんの声のトーンって
ほめたり言う事を聞かせようとする時似てますね。
少し高めの声でテンションを上げるように言うと反応が良いですね。
(これは私が感じた事&父に関してですので、あしからず)

母が居ると甘えてしまって
自分で何もしようとしないので
看護士さんから
「もう大丈夫です、こちらでしますので
おかあさんは帰ってゆっくり休んでください」
とお言葉を頂きまして、帰ってまいりました。

まぁ、特に命の危険が有る訳でもないのですが
退院してから、その後が長いと思います。
最近、いろいろな事を忘れやすくなっている今日この頃^^;

  1. じいちゃん
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